陰と陽

陰陽論 天地万物は、すべて「陰」と「陽」から成り立っていると考えます。

その陰と陽とが交互に顕れる、これを二元論といいます。 これは、世の中の事象すべてがそれだけで独立しているのではなく、「陰と陽」という対立した形で出来上がっていると考えます。

男女、明暗、冷熱、乾湿、火水、天地、上下、凹凸、剛柔、左右、善悪、内外、昼夜、強弱、大小など。人間の精神は、天の気=陽で、肉体は地の気=陰。 生は、その精神と肉体の結合であり、死は、両者の分離であると説いています。

陰と陽は、お互いに伸長を繰り返し、陽が極まれば陰が萌してくるというように、新たな発展を生むという考え方です。

陰陽と易の関係

陰陽理論は、のちに「易」としてまとめられ「易経」となりました。 その根本原理は、下記の対極図です。 この図は、冬至から夏至、夏至から冬至へと「時」が移り変わる原理を示したものです。 冬至はこれ以上太陽が弱ることはなく、弱さの極みに達した時点で、その瞬間から次第に太陽が強くなっていきます。

夏至は、これ以上太陽が強くなることはなく、強さの極みに達した時点で、そこからは陰(月)の勢いが強くなっていきます。 「陰極まれりて陽と兆す。 陰極まりて陽と兆す」というくだりは宇宙の定理を示したものです。

陰陽論の起源

この陰陽論は、中国で始まったものではないという説があります。紀元前5世紀ごろには、中央アジアのパミール高原の遊牧民族が知っていたようです。 海抜何千メートルの高地で見る夜空には美しい月と星、昼には刻々と輝く太陽はどこまでも近かったということです。 つまり、陽と陰の入れ替わる姿で、人々は地球を知り、生きることができたのです。

そこから西へ伝播してギリシャ哲学に結びつき、東に伝播してインド・中国哲学に至ったという事です。 ほとんど同時代にギリシャ哲学、中国哲学が「陰陽論」を唱え、「五行論」までも唱えていたそうです。

五行論 中国の古典「書経」や「左伝」によって説明され、以後学問的に研究され成立しました。 天地万物は、突き詰めてみれば全て「木」・「火」・「土」・「金」・「水」の五つに分類できるという思想です。

五行学

陰陽論は遊牧生活でも活用されていましたが、五行論は農耕生活の発達と共に発展することになります。 農業は、四季を意識することなしには営めません。よって、春・夏・秋・冬をそれぞれ木、火、土、金、水に分け、その変わり目を土として生活のスケジュールを立てて生きていました。

これによって「天」つまり「宇宙」というものの仕組みを知ることとなり、五行論として成熟して今に至りました。

相生・相克・比和 上記の図をご覧ください。

木・火・土・金・水は、単に分類するだけでなく、一定の法則に基づいて関連しあっています。 その一つが「相生」の法則です。 外側の青の矢印が、それに当たります。 木から順に火・土・金・水と「時」の経過する順序を示します。 木が火を生み、火が土を生む。

土が金を生み、金が水を生む。という巡りになっています。

次に内側緑の矢印、「相剋」の法則です。 これは、すべてのものに「存在意識がある」というものです。 「剋」には他をコントロールする働きがあり、挑むという意味もあります。

例えば、「木」は土から栄養を吸い取るため、土は弱ります。しかし、木が根を張ることによって、土に酸素を供給するので土が元気になります。 また、「金」お金属が木を切ることにより、木を剋します。しかし、木を切ることによって「木」が道具に変わります。

このように、良い働きかけという意味もあります。 「比和」の法則 これは、同じエレメントをプラスすることにより、そのエネルギーを補充する働きとなります。

このように、天地万物は全て五行分類され、そのひとつひとつに「陰」と「陽」があり、相生相剋の法則にしたがっているのです。 これが、陰陽五行論の基礎的な考え方となります。

ボタニカル風水は、陰陽五行を応用した植物開運メソッドです。

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