【連載】生死の境と家系の配線 全3話

第1話:余命三日のあと、父の日が五つ来た

生死の境で、家族が先に動く場所。

新幹線の手と、祖父と同じ線

2021年、仙台の父が急に腹を痛めて入院した。弟から「余命三日」と聞いた。それから父の日が、五つ来ています。

私は病気は観ません。観るのは、境が開いた家です。

そんな重篤な父でも、電話には出られました。私は「すぐ行く」と言いましたが、コロナ禍で「来ても会えない」と父。

新幹線の中で、手が震えっぱなしでした。父もかつて、祖父の危篤に東京から仙台へ車を走らせた。そのことを思い出しながら、同じ線の上に自分が乗ったのだと分かりました。

先に触れたのは土地だった

案の定、何をしても病院では面会できませんでした。そのため、先に触れた(統理した)のは土地でした。病院の敷地、家、近い社寺。

スキャンすると、家が重い線の上に乗っているように見えました。

熱のあと、場が動いた

その後、父は高熱を出しました。当時の私はそれを効き目として読みました。熱が引いたあと、父が回復に向かったからです。

いまは、場が動いた印だと思っています。だから回復を施術の手柄にはしません。食が戻り、放射線が始まり、二か月で退院したのです。

父は同じ体で、母は体を脱いだ

印象的だったのは、父の一言です。「なんだか、生まれ変わったみたいだ」と。

母のときは逆でした。大学病院を選び、できることがないと退院を促され、ホスピスで言葉を交わせた。息が落ちたあと、化粧を妹とした。亡骸は、いまにも起き上がりそうなほど整っていた。そのとき先に来たのは、自分自身の無力感でした。

父は同じ体で生き直した。母は体を脱いで出た。本人にはどちらも出発に見えることがあります。同じ体での再出発と、生死の転換。

しかし、残された側の荷は同じではありません。

病院の席と、家の席

当時は電話の向こうで場を動かしました。いまこの場を動かす主力は浄化塩です。

治る道具ではありません。置いた人の波動と、家の気の向きが整う。主の席が、医療の席と分かれる。病院に出すものと、家で整えるものは別です。医療と統理は対立しません。

近い人が倒れたとき、家のどの席が空いているか。誰が電話の向こうで主になっているか。恐れる言葉を唱える夜は、場が病の袋に寄りやすい。塩は、その寄りを戻す基準点です。治癒の約束ではありません。

病気は観ません。観るのは、生死が開いたときに家族が立つ位置です。父の家の線、母の看取り、いまの統理と塩は、その延長にあります。

まず見るのは、家と血の「いまの偏り」です。五行統理は、無料の入り口です。いまどの気が厚く、どの席が空いているかを先に切り分けます。塩を置く位置も、個別に触れる範囲も、そのあとです。

◆ 五行統理
◆ 浄化塩
◆ 神域再生・統理鑑定(初回・オンライン)

【連載】生死の境と家系の配線 第2話:https://benika168.com/archives/15050

MENU