余命3日と言われたターボガンの父、3カ月でV字回復。土地と心身の浄化。

生死の分かれ目を考える。余命3日と言われた父が生還して3回目の父の日を迎えられました。

昨日は父の日でしたね。この記事をお読んでくれた方には、老齢のお父様がいらっしゃるかもしれません。介護をされている方、お見送りを済んだ方もいるでしょう。

 

今日は、生と死について考えみました。少々長いですが、じっくり読んでみてください。

新型コロナワクチン2回目接種から2週間後、父が前立腺のターボガンで余命3日と宣告。

ちょうど3年前の今頃は、政府が盛んに老齢世代へ新型コロナワクチンを推奨し始めたころです。私は、ホメオパシーを勉強していたのでワクチンに疑問を持っているひとりです。

そんなことで、治験中の安全かわからない注射をするのは危険!!と、はじめからワクチンに反対でした。ちょっと前までは、そんなことを言えば、たちまち反ワクだ、頭がおかしいだの言われたでしょう。けど、今は調べれば、ワクチン後遺症で多くの人が苦しんでいたり、謎の突然死が起こったりしている情報がたくさん入ってきます。

過去の大戦、大地震の死亡者の総数よりパンデミック以降の死亡者の方が断然多いのをご存じでしょうか?当時、父には「ワクチンは打たない方が良いよ」と伝えていました。けど、田舎ゆえの同調圧力で、打たざるを得ず・・・。

そして、2回目のワクチン接種の約2週間後に突然、お腹が痛くなり病院へ行くと即入院。弟からの連絡で、もって3日と言われたと聞かされました。

土地の浄化と父の体の浄化を繰り返し、V字回復した父

わっと泣き出した私は、即、父へ電話を掛けました。その時、父は電話に出たんですよね。

「すぐ行くから!」と私。「来ても、(コロナで)会えないよ。」と父。

でも、いてもたってもいられず、軽く支度をして、父のいる仙台へ向かいました。新幹線の中では、なぜか知らないけど震えが出てましたね。昔、父もお父さん(私の祖父)が危篤の時、父も3時間半で東京から仙台へ車を走らせたことを思い出しました。

病院へ行っても会えないので、とりあえず病院の土地を浄化し、父に向けて遠隔で浄化(ヒーリング)しました。それから、父の家と近くの神社仏閣に呪詛の角度がないかどうか調べました。というのも、神社仏閣、病院、学校などはいわくつきの土地であることが多く、昔、必ず何かあった場所で一般住宅が立たないところなのです。

または、呪術使いがある目的のために(支配者層が支配をしやすくするためかも)一般の人が住めないようにしているかもしれません。そして、現地を調べてみると、呪詛がありました。家が、そういったところの(線上)霊道だったのです。

新型コロナワクチンも、あるロットナンバーではひどい後遺症が出ると言われています。その影響とプラスして、家の土地のエネルギーも、影響していると感じます。

土地と家屋、周辺の呪詛の浄化を済ませ、一旦神奈川の自宅へ帰りました。それからは、毎日父へ電話して電話口の父へ浄化です。

浄化を続けて数日して、父は高熱を出しました。私は、それを知って「シメタ!」と思いました。なぜかというと高熱を出すと、ガンは死滅すると聞いていたからです。案の定、熱が引いた後は、父は、みるみる回復していきました。

放射線の害を浄化してみると、目の中から閃光が!

医師が「○○さん(父の名前)、痛くない?」「本当に痛くないの?」と代わる代わる聞いてくるそうです。

けど、父は「痛くないよ」と答えるばかりです。(がんは、通常辛い痛みがあるのです)医師も、狐につままれた気分だったのではないでしょうか?

重湯での食事から、普通食に戻ったあたりから今度は、放射線治療が始まりました。最初は、施しようがないと言われたのに、数日後には本格的にがん治療が始まったのです。幸い、抗がん剤治療はせず投薬と放射線治療ということでした。

毎日、父と電話で繋がれたので放射線治療の後は、必ず電話越しで浄化をしました。放射線が当たった患部を(霊視で)見てみると、ピカっと閃光が走ったんですよね。目をつむっているのに、まぶしいのです。目の内側からというのでしょうか。

「あ~、放射線ってこういうのなんだ!」って思ったのを覚えてます。

生死をさまよって2カ月後、無事退院した父は今も普通に生活してます。

毎日、父に電話して浄化して、約2カ月。父は無事退院しました。

最初は、よろよろで歩くの大丈夫かな?と思うほど弱ってましたが、だんだん通常生活に慣れ今では自分で車を運転し遠出することもできるようになりました。

 

父が退院してから私のやったことは、父の薬の浄化です。西洋薬は必ず副作用があるため副作用が出ないよう、調和のエネルギーに変換しました。そして、私も毎日は浄化できないため家を調和のエネルギーで満たす、イヤシロ地にする魔法(浄化)を掛けました。

あと、エネルギー増幅装置をアメリカから取り寄せて別途下に置いてもらうようにしました。

 

20年近く前のガン難民になった母のこと

また、2006年に亡くなった母が、抗がん剤の副作用を軽減するために購入したやはり波動製品。スエポンエヴァーと言います。(足立育朗さんの形態波動研究所)

こちらは今は購入できないものですがこちらも、母は抗がん剤の副作用は出ませんでした。(しかし、治らず)

母も突然、末期がんを宣告されましたが、母の場合はすでにゆっくりとガンの兆候は見えていました。当時、私も浄化能力なんて、なかったですしね。その時も、漢方で治すお医者さんを調べていたのに、家族みんな(そして母も)は、東北大学で治療をすることを選択しました。

結果、何が起こったかというと、「病院でできることがないので、退院してください。」と、病院を放り出されました。前出の漢方医の先生を訪ねたら「もう少し早く来てくれたらねえ・・・」と言葉を濁されました。

結局、漢方を飲みながら鍼灸治療を受け、在宅訪問介護で栄養補給と痛み緩和の投薬となりました。それから6カ月。鈍い痛みを抱えながら、母と父は頑張りました。けど、とうとうつらい決断を下す時が来ました。

ホスピスの選択と母の看取り

家族で話し合った結果、母はホスピスへ行くことになりました。ホスピスというのは、ガンの痛みを和らげ安らかに最後を過ごす場所です。だから、延命という考えはないのです。

死は怖くない、という風になるよう精神ケアを牧師さんがしてくれるのです。そして、最後の時(看取る)まで家族が一緒に居られるので、私たち家族は母と言葉を交わしてお別れができました。もって6カ月と言われた母は、発症から1年後に亡くなりました。

母が息を引き取ってから(ホントに息を引いて亡くなるんです)母の死に化粧まで、私と妹が手伝いました。亡くなった母の姿は、

見ることはできませんが、そういうのが見える義弟から母の無くなる前に、親族がお迎えに来ていたこと、お葬式に、母が自由に空を飛んでるる様子を聞きました。お葬式の洋服、靴、バッグまで指定してきた母。

目を開けて、がばっと起きて来るんじゃないかと思うほど。マダムタッソーの蝋人形のような母の亡骸を思い出します。

生と死。どちらも生き直し。

母は、また違う人生を生きるために肉体を脱いで、新しい歩みを始めたのです。

そして生きて帰った父は、「生まれかわり」という言葉を使いました。退院したばかりに発した言葉ですが、「オレ、なんだか生まれ変わったみたいだ・・・」と言っていたのが印象的です。

父の場合は、劇症だったために、体の細胞が元気だったから生還で来たのかもしれません。

最悪の選択になる前に、生き方考え方を変えてみよう。

あなたの身近な方が、もし突然病に倒れたら、どういう対応をされるでしょうか?早期発見を目的に、検査を頻繁にする人もいます。もちろん、それも大事ですが、病気にならない生活習慣、病気にならない生き方、考え方を大事にすべきではないでしょうか?

もし、検査結果が悪性だったら?切って終わりじゃないのが、ガンです。どんな治療を受けるか?その治療の後は、どんなリスクがあるか?他に方法がないか?など、事前に調べておいても良いかもしれません。

意識すればするほど引き寄せる、エネルギーの法則もあります。知り合いに、5年再発を意識するあまり、5年目の1カ月前に乳がんを再発した例があります。

なるよ、なるよ、なるに決まっている。(そうは思っていないでしょうが)「なりませんように!」は、反対の意味も含まれているということ。

生きて、人生生き直しか?死んで、新しい肉体で出発するか?本人はきっと、どちらもアリでしょう。けれど残された家族の想いは違いますね。来月は、お盆月間が始まります。生と死について、想いを馳せてみました。

 

浄化にご興味がありましたら、お気軽にお問合せ下さい。初めての方には、お手頃な体験セッションをご用意しています。

 

 

潜在意識が、あなたの開運パワーを教えてくれます。