今日から2月 中学受験と教育について思った事
今日から2月ですね。 東京・神奈川の中学受験が始まりました。今日は、私の息子の時の受験体験をお伝えしたいと思います。
私は子供の中学受験を2年前に体験しましたが、小学6年生の1年間は精神的にも経済的にも消耗しました。 滑り止めの1校をとりあえず確保して、第一希望校を全日程受験申し込みをしました。
今は昔と違い、2月1日~6日くらいの間に1校が受験日を複数用意してくれています。我が家は面倒見がよく6年後に成績がぐんと伸びている子が多い、とある中高一貫校を選び、その1校に絞って受験しました。その数日は、親子ともども体力だけでなくメンタルと戦いでした。
受験日初日は初めてのことで、子供も親もドキドキしています。落ち着いてできればいいですが、なかなか・・・午前に試験を受けた後、また午後にもあるのです。午後に午前中の結果がわかり、午後の試験は夜9時ころにわかるようになっています。
こうやってすぐに結果がわかるので、次の対策を立てることができる反面、不合格となった時の子供のモチベーションをどう保ち、リラックスさせるかは親の精神力のようです。受験後半になってくると親子の悲壮感は半端ないです。
気持ちが沈んでくると、体力も落ちてきます。気力で頑張れた、何てことあなたも経験あるでしょう? また、親のメンタルも子供に影響します。
経験もない小さな子供が親の期待を背負って頑張っています。どうぞ、お子様をねぎらって受験期間は最大限に自制しお子様に愛といたわりの気持ちで接してあげてください。まちがっても、叱ったり、ダメ出しをしないように!
メディアでは、超有名校を取材していることが多いですね。超有名校に入るにはよほど地あたまが良くない限り、進学塾に入って小学、4年生から勉強します。
5年生で本格的に受験対策が始まり授業と日曜日は模試漬けです。6年生ではもっと勉強しかない状態になり、春・夏・冬の講習も必須です。日々の生活が勉強1本です。これは子供にとってきっついですよ。
うちの子も、当時を振り返って「死にたかった・・・」と言ってました。それだけ大変だったのです。といっても、うちの子は受験準備は5年生の冬からでしたし、もちろん有名神学校ではありません。けど、不合格者もたくさんいる中堅どころの中学です。
そんな息子は、中学入って夏休み明けぐらいからだんだんダラケて来て、今はのんべんだらりとした生活になっています。2年の夏休み明けは「行きたくない!」と起きてこないので、登校拒否になるのではないかと。
すると学校は「お母さん、本人がそう言っているんですから無理ですよ。今日は休ませてください」と言ってくれたのです。
助かりましたね、その言葉に救われました。親は「行かなくちゃならん」と、なんとか行かそうとなだめたり脅したりするので、子供の方は益々意固地になって力と力がぶつかりあって解決にないやしない・・・
学校も子供たちの傾向を解っているので、あまりうるさく言いません。家族で「ここ」という学校を見つけられたので、安心して子供を預けられるからです。
そんなのんびりした学校ですが、中には有名校を落ちて渋々入学してくるこっます。不本意なんですよね。だから、次は大学受験だ!とばかり、勉強に精を出します。うちの子はゲーム馬鹿なのでそれもそれで心配ではありますが、中学入学したばかりで、もう6年後の大学にばかり向けているのは、むなしいというか「今ここ」に居ないのでもったいないなと思うのです。
社会では結果重視の風潮が強く、過程を重視しない傾向ですが、体験=過程は重要だと思います。多感な青春期には、良いもも悪いもたくさんの経験をするのが良いと思うのです。
勉強しなくていいとかではなく、勉強が好きであればすればいいし、スポーツしたい人、ゲームしたい人はやればいいと思うんですね。ただし、中途半端ではなく真剣にやって欲しい。
一生懸命目の前のことに取り組んでいくうちに上達していくので、そのことがますます楽しくなってくるし、それが結果につながるからです。私事ですが、前職では、父ちゃん母ちゃん的な小規模会社の改革を、楽しみながらガンガンやっていたら、いつのまにか地域のランクインに入り、銀行からは優良企業の枠に入るほどになっていました。
退職してからは、ガーデニング、風水、四柱推命(それぞれ時系列です)が楽しくて無我夢中でやっていたら、開運ボタニカル風水をオリジナルで考案したり、伊勢流陰陽五行学の師範代(先生の一番弟子)になっていたんですね。
だから、中学受験を第一希望に入れなかったからといって、そのリベンジのためだけに6年間を費やさないでと言いたいのです。せっかく縁して入学した学校ですから、今を大事にしていただきたい。
リベンジの意識では、負けた意識になっているので、「自分はダメだ」と潜在意識に刷り込まれてしまうのです。そうなると毎日が面白くないですね。
易の大家、安岡昌篤先生の知命と立命という本に「何のために学ぶのか」という章があります。
その一部をご紹介しましょう。
『学問というものは三つに分けられることができます。一つは「知識の学問」です。しかし知識の学問のみが学問ではなく、学問にはもっと根本的性質の区別があります。それは「智慧の学」というべきものです。
知識の学問と智慧の学問では非常に違うのでありまして、知識の学問は、我々の理解力・記憶力・判断力・推理力等、つまり悟性の働きによって誰にも一通りできるものです。子供でもできる、大人でもできる、善人でもできる、悪人でもできる。程度の差こそあれ、誰でもできる。その意味では機械的な能力です。
しかし、そういうのではなく、もっと経験を積み、思索反省を重ねて我々の性命や人間としての体験の中からにじみ出てるもっと直観的な人格的学問を智慧の学問といいます。』
また、その章では平州先生という方が教育を論じている下りがあります。
『本当の教育というものは、菊を作ったり蘭を作ったりするのとは違う。農家が菜っ葉大根を作るのと同じである。菊作り、蘭作りというは特殊教育、特別な目的をやることであって、一般の人間学、人間教育というものは、農家が菜っ葉大根を作るように、出来のいいもの悪いものも一様に可愛がって、瓜は瓜なりに、茄子は茄子なりに作り上げることである』
いかがでしょうか?私は全く同感です。幸いにも、我が息子の学校はでは、そういったことを重視してくれていると思います。(理想と現実のギャップは当然あるでしょう)
何を言いたいかといいますと、有名であったり偏差値だけで学校を決めるべきではないということです。学校の理念、雰囲気が家庭の教育理念に沿っているか、子供と学校の雰囲気が合っているかというのが一番重要なんじゃないかと思うのです。
私立一貫校は、子供との相性が良ければ本当にお勧めです。3年ごとに受験でピリピリしなくて済むし、先生も転勤がないので学校理念を踏襲しているので、元の部分は一貫しています。なにより、子供がのんびりしている。その6年間でどういう経験をするのかは、子供と家庭次第という訳ですが。
四柱推命で運を見ますと、一発で合格する子はそのような運になっていますし、ある子は志望校に落ちたとしても、縁した学校が長い目で見たら良い学校だったということもあるのです。
受験時期が運が悪く不合格だったとしても、挫折がその子の原動力になることもあります。悪い事象は転換の原動力になるのです。ですから母目線、父目線、近視眼的な目線で一喜一憂しなくていいのです。要は、縁した結果をどう受け止め、どう生かすかがポイントなのです。
家族の在り方、子供の教育、仕事の取組みについてなど、私の経験と四柱推命、風水のことをエッセイにした『幸せの羅針盤 新しい「時」を生きるバランスの法則』を一度お読みいただけると何かのご参考になるのではないかと思います。 アマゾンのサイトはこちらから